龍虎同盟のドラの投稿です。レジェンド企画第3弾。レジェンドよ永遠に
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最年長の屋台骨
2003年〜2007年までのセ・リーグは
毎年のように阪神中日が優勝争いをする
まさに龍虎2強時代
大エース川上憲伸を筆頭に、朝倉、中田、バルデス、ドミンゴ、佐藤充、山井、小笠原等々の投手王国
その屋台骨を最年長でありながら支え続けた山本昌
2006年には2000奪三振を達成
9月の優勝争い真っ只中の阪神戦では最年長ノーヒットノーラン(41歳1ヶ月)
さらに、昌はこのシーズンを振り返った時、一番会心の投球は、このノーヒットノーランの試合ではなく
翌週の甲子園での8回1失点での勝利と語っていた
敵地で優勝を大きく手繰り寄せたこの試合は本当に会心だった
規定投球回をクリアしたのはこの年が最後となってしまったが
全盛期から10年以上経っていてもなお、選手としての輝きは決して失わなかった
山本昌のピッチングスタイル
山本昌はいったいなにがそんなに凄かったのだろうか?
ストレートは130キロ台
コントロール?変化球?
40代であっても主力として活躍する昌は
この頃からにわかに注目されだした
それはストレートの回転数
それまでは代名詞となっていたスクリューボールを操る技巧派としてのイメージを確立していたが
それだけでは説明がつかないおかしさ
たしかにそれまでも、『山本昌のストレートが一番速く見える』と言っていた選手はちらほらいたが
それが明らかになったのが当時の回転数を測定するカメラ
リーグ平均が37回転/秒であるのに対し
昌は52回転/秒
あの見るからに回転数の多そうな藤川球児ですら47回転/秒であるのだから
いかに山本昌のストレートは異常であったかが見て取れた
平均からどれだけずれるかでボールの打ちにくさは決まる傾向にあるため
山本昌のこの尋常じゃないずれは、当時の打者を一層困惑させていただろう
アメリカ帰りの若武者が駆け抜けた20年
ようやく自身のピッチングスタイルと世間の評価が一致しだした
『ストレート主体の本格派投手』だと
最年長記録のオンパレード
2008年は規定未到達ながらもチームトップの11勝
8月4日の巨人戦で完投勝利で、史上24人目となる通算200勝を達成
5年目まで未勝利の投手、誰が200勝を達成すると思っただろうか
200勝到達時点では最年長(42歳11ヶ月)
200勝を達成した投手の中では最も遅い初勝利
その後の巨人戦では完投勝利をあげ最年長完投勝利(43歳0ヶ月)
8月には最年長月間MVP
シーズン通して最年長二桁勝利
2009年はほとんど試合に出れず自身最低記録のシーズンとなり
ついに引退か?と思われたがまだまだ現役続行!
2010年はシーズン後半の苦しい時期に初登板を果たすとチームを救う大活躍
9月4日の巨人戦での完封勝利は最年長記録(45歳0ヶ月)
奇しくも初勝利を果たした時と同じく5勝をあげてリーグ優勝に貢献
CSでは勝利投手になり、ポストシーズン最年長登板記録を更新(45歳2ヶ月)
この年のシーズン後半の活躍は、本当に引退しなくてよかったと心から思った
ただ、ロッテ相手の日本シリーズではまたしても勝つことができず
結局プロ入りから一度も日本シリーズで勝利をあげることができない不名誉な記録になってしまった、、、
夜のマリンフィールドでのとんでもないカーブのすっぽぬけを記憶している
前人未到の領域はレジェンドの称号へ
2011年以降、数々の記録を達成した山本昌は、工藤公康がNPBを退団したことにより球界最年長選手となり
この頃から登板するたびに大歓声
勝つたびに大ニュースになっていった
2012年には杉下茂さんのもつ球団記録の212勝についに到達
球団通算最多勝投手となった
2013年には打者としても安打と打点を記録し
プロ野球最年長安打と打点を記録した(48歳0ヶ月)
2014年にはさらなる進化を求めて新球種に着手をするなど精力的に動くが
調整に失敗し手で遅れる
なんとか後半に一軍に昇格すると、9月5日の阪神戦で勝利をあげ
自身の記録を更新する49歳0ヶ月での最年長勝利となった
1回りも2回りも年齢の違う選手が第一線で活躍する
そんな姿に世間は憧れにわかに囁かれた『レジェンド』
悪あがきを続ける山本昌は球界のシーラカンスとも言われていたが
この年の流行語となった『レジェンド』と呼ばれるスポーツ選手に見事選出された
前人未到の領域に挑戦し続ける山本昌に、多くのファンは感化され
名実ともにレジェンドと呼ばれる選手となっていた
レジェンドよ永遠に
50歳を迎えるシーズン
毎年恒例の鳥取ワールドウィングで調整を続ける昌
長く現役を続けられた秘訣の一つ
怪我をしにくい体作りのための初動不可トレーニング
数々の後輩選手はこの秘訣を頼りにこの地を訪れている
毎年新しいことにも挑戦する鳥取での自主トレ
例年とも変わらない調整姿に見えていたが
レジェンドのプロ野球人生にも終りが見え始めていた
順調に迎えたはずの春季キャンプでの試合にてひねった足
年齢を重ねたことで治りが遅くなっていたこともあり
調整が大幅に遅れた
8月になんとか1軍登板を果たし、プロ野球実働年数29年の記録に並ぶも
突き指により2回で負傷降板
この怪我が致命的であった
治るはずの怪我がなかなか治らない
この損傷はシーズン終了まで完治することはなかった
2015年9月
50歳を過ぎたころ
突然の引退表明
ファンからすると突然でありながらもどこか自然な不思議な気持ちで溢れた
本人は、若手が躍動する姿を見たことが引退の理由としていた
『体力的な全盛期は1994年ごろではあったが、技術は今が全盛期』
引退会見で話していたことから、常に進化を続けてきたんだなぁと
この年齢まで続けられた秘訣がわかった気がした
『これだけ奥が深くて、自分の中で楽しめた。こんなスポーツは他にない。よくぞ野球というスポーツがあってくれた。今も本当に感謝します。』
2015年10月7日
前人未到の50歳で迎えた現役最終登板の広島戦
一打席だけ対戦して降板した昌は
どこか感無量の表情で
球場全体のコールが鳴り止まぬ中
現役を退いた
これにて山本昌の伝説は終幕
レジェンドよ永遠に
実働29年通算成績
登板数 | 投球回数 | 勝利数 | 敗戦数 | 奪三振数 |
581 | 3348.2 | 219 | 165 | 2310 |
獲得タイトル
・最多勝利 3回
・最優秀防御率 1回
・最多奪三振 1回
・沢村賞 1回
・ベストナイン 2回
・月間MVP 8回
・最優秀バッテリー賞 1回
・最優秀投手賞 2回
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