龍虎同盟のトラです
阪神ご自慢?打たれた記憶しかないノリさんについて書きます
阪神の選手もノリさんに影響を受けている?(笑)
中村紀洋とは
通算成績 2284試合 打率.266 2106安打 404本塁打 1351打点
レジェンドの証2000本安打で名球会、歴代19位の404本塁打
この数字で分かる稀代の和製大砲、それが中村紀洋
実はメジャーにも挑戦しており、未だに現役引退を表明していない生涯現役の選手
日米5球団を渡り歩き、ファンを愛しファンに愛されたノリさんを紹介します
プロ入り〜レギュラーまでの道のり
大阪府立の高校が私立高校を打ち倒し甲子園に出場する
それがどんなに困難かは野球好きなら分かると思います
それを4番投手兼三塁で2年生時にやってのけたのがノリさん
まさに漫画の主人公さながらの大活躍で渋谷高校を甲子園に導いた
高校通算35本塁打の成績を引っ提げ
91年のドラフトで近鉄バッファローズから4位指名を受けプロ入りを果たす
プロ入り初年度に2本塁打を放つも、2年目までは19試合の出場に留まる
94年には故障した金村義明の代わりに108試合に出場し8本塁打を放った
95年についにレギュラーの座を掴みシーズンを通して129試合に出場、自身初の20本塁打を記録
中村紀洋伝説の幕が開けたシーズンとなった
パリーグ最高年俸とオリンピックでの活躍
98年にシーズンで32本のHRを放ち自身初の30本を達成
99年に自身初の全試合出場とゴールデングラブ賞を獲得
この後通算で7度GG賞を獲得することになる
中村紀洋といえば豪快な打撃に注目されがちだが、実は守備がめちゃくちゃうまい
特にグラブ捌きとハンドリングの技術はピカイチなので
阪神の内野陣に守備コーチをまずして欲しいぐらいに、、、
2000年にはシドニーオリンピック日本代表として日の丸を背負い闘う
結果は4位に終わりノリさんは悔しさからカメラの前で人目を憚らず涙を流した
野球に対しては熱さを持ち真摯に取り組む熱い男それが中村紀洋
この年にはシーズンで打点、ホームランの二冠王を獲得しオフにはパリーグの最高年俸選手に
名実ともに日本を代表するスラッガーになったシーズンだった
全盛期と黒いノリさん
01年3番に座ったT・ローズと2人で101本のホームランを放つ大活躍の中
翌年にFA権(フリーエージェント)を獲得することもあり近鉄はノリさんに複数年契約を打診
噂では6,7年で40億近い契約だったらしいが、ノリさんはこれを拒否し単年契約
この時点で近鉄から出ていく雰囲気がすごかった(笑)
この頃から福留孝介と並び黄金銭闘士と揶揄される黒ノリが顔を出し始める
FA権を獲得したノリさんは当初メジャーに興味がないと語る
しかし突如「中村紀洋というブランドをまず考えて、近鉄で終わって良いのか」
後世に残る名言を残しFA宣言を行った
この時NYメッツとの契約に合意しかけたが、一悶着あって近鉄に残留
ノリさんが言うに、契約合意前に情報を漏らし地元紙で獲得の情報が出回ったことに激怒したらしい
あくまでもルール違反に怒ったわけで、年俸が拗れたわけではry)
4年契約で2年後にポスティング移籍OKの好条件を勝ち取っている(流石黄金銭闘士)
念願のメジャー挑戦へ
03年〜04年は怪我に悩み思った様な活躍ができない時期も多かった
ただ、自分が試合に出ないわけには行かないと強行出場でチームを牽引した
そしてそのオフ歴史的な球団編成が起こり、、、近鉄球団消滅
その時にノリさんがとった行動は、、、残り2年の年俸要求(笑)
ここでも黄金銭闘士の格に違いを見せつけ、
いや若い選手に夢を与えるために球団に立ち向かい功労金3億を獲得した
その後05年の1月に予定通りのポスティングを使用しドジャースへと移籍した
ちなみに分配ドラフトではオリックスに分配されていた
近鉄球団在籍時の通算HR数は307本
近鉄ファンから愛されたスラッガーの伝説は球団と共にここで幕を閉じた
次は夢の舞台メジャーリーグでの活躍を胸に誓いノリさんは海を渡る
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