龍虎同盟のトラです
緩い変化球をブレイキングボールと呼ぶのが嫌いです
好きな変化球はドロップ
伝説の助っ人左腕を思い出しながらビールを飲んで書いてます
最強の助っ人外国人は?
阪神タイガース、いや日本球界の長い歴史の中で最強助っ人は?
この話題になると100%名前が挙がる、いや上がって欲しい
ジェフ・ウィリアムス
青い瞳のサムライ・鬼神と言った異名もあったが、やはりJFK
サイドスローからMAX156キロの速球と、天才高橋由伸に「打てない」と言わしめたスライダー
ほぼこの2球種で通算371試合 16勝 17敗 141HP 47S 防御率2•20の成績を残した
ちなみにHPはドラゴンズの浅尾に抜かれるまで当時日本記録
記憶にも記録にも残る阪神史上最強セットアッパーの活躍なしに2度の優勝はあり得なかった
来日、日本球界席巻
2002年12月6日阪神タイガースに入団したウィリアムス
正直、ほとんど獲得の経緯は覚えていない(だって当時10歳)
来日初シーズンに圧巻の活躍を見せ、52登板 防御率1.54 25Sの大活躍
闘将星野仙一監督から絶大な信頼を受け、あの王監督をして「出てこないでくれ」と言われる
2004年にはアテネ五輪のオーストラリア代表として日本の前に立ち塞がる
その準決勝で日本打線の前にまさかのロングリリーフとして登板
これまた圧巻のピッチングで日本打線沈黙、、、
その活躍でオーストラリア代表は銀メダルを獲得する(日本は銅メダル)
JFK結成 〜そして伝説へ〜
3年目を迎えた2005年、伝説のシーズンが幕を開ける
岡田監督の元でウィリアムスは藤川球児、久保田智之とJFKを結成
セットアッパーとして主に7回に君臨すると75試合に登板
敵チームをして7回以降は阪神から点が取れないと言わしめた
そして阪神はセリーグを優勝(あれ?この年日本シリーズあったっけ?)
怪我の影響で2006年は序盤に出遅れるも安定して結果を残す
なんとオフにはメジャーリーグからオファーが届くも阪神愛を貫き残留
2007年は9月まで驚異の失点1で最終的には防御率0.96
この年に現行制度では初めての通算100HPを達成
名実ともにレジェンドになった
突然の別れ、引退へ
2008年からは神通力に陰りが見え始め痛打を喰らう場面が増える
ウィリアムスの不調もあり阪神は巨人にメイクレジェンドを喰らい、、、
今思えば、この年は本当に阪神にツキがなかった。。。
そして2009年37歳で迎えたシーズンの夏
ウィリアムスは左肩を怪我し手術のために帰国してしまう
そのオフ11月に「肩の状態が思わしくなく、来年の戦力として計算できない」
と球団から退団が発表された
阪神タイガースは功労者であるウィリアムスに駐米スカウトを打診
ウィリアムスは一度は断りタイガースで復帰するために懸命のリハビリを続けるも
肩の状態が思わしくなく2011年に選手としてはユニフォームを脱いだ
その後は阪神の駐米スカウトを今に至るまで務めている
青い瞳のサムライ ジェフ・ウィリアムス
現役時代のウィリアムスには熱い逸話が多くある
今尚語り継がれているのは能見さんとのエピソード
ドラフト1位で入団するも当時は1軍、2軍で燻っていた能見さん
どうすれば自分はとウィリアムスに相談に行った際に激しく罵倒される
「メンタルが弱い?それは言い訳だ。実力不足をそんな言葉で片付けるな」等
一通り能見さんに説教をした後
「お前の武器はなんだ?長い手足を生かすための球筋、角度を考えろ」等
こんな感じで説教&熱いアドバイスを能見さん贈る
尊敬するウィリアムスからまさかの叱咤激励を受け能見さんは一念発起、今に至る
また、同時期に阪神に所属した選手にはビデオメッセージや手紙を贈り
引退する選手はおろかファンも泣かせるナイスガイ
特に「虎バン」の矢野監督とのやりとりは普通に泣ける
ウィリアムスは今もなおスカウトとして阪神タイガースを支ている
ただ、やはり私はもう一度コーチとしてでも縦縞に袖を通してベンチにいるジェフを見たい
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